弾丸ジャッキーの芸風と大道芸的な笑いと、あと声援

上の感想を書く時にちょっと色々と調べてたら、弾丸ジャッキーについて、
"あれはお笑いではない"的な意見があったんで、ここで自分なりの考えをと。
 
芸風が極端になればなるほど、こういった事を言われやすくなっていって、
今、第一線で活躍してる芸人でいえば…猫ひろしとかも言われてるらしいのですが、
そういう意見を聞くたびに私が思ってしまうのは、"じゃあ、お笑いの定義ってなんなのよ"と。
 
ありとあらゆる芸風が湯水の如く溢れ出ている、現在のお笑いブームにおいて、
"お笑い"についての明確な定義を出すのは、もう無意味なんじゃないかと思うんですね。
M-1グランプリ」もそうでしょう。
あれは"漫才の大会"と定義されていますけど、漫才じゃない人達もかなり大量に参加してます。*1
その度に"あれは漫才じゃない"なんて意見がどこからともなく出てきますけれども、
いちいちそんな事を言っていたらキリが無いし、そこまで形にこだわる必要があるのかとも。
 
弾丸ジャッキーは、「元・体操部」という肩書きを武器に、
非常にアクロバティックなショートコントを繰り出していく、
武田テキサスと松雪オラキオの二人による非常に汗臭そうなコンビですが、
ネタ中の運動量が片方に大きく偏っているのがそれまでの同系統のコンビと違う点で、
それまでのアクロバティックな芸風のコンビ、例えばオキシジェンやビックスモールン
イヌがニャーと泣いた日や売れる前のレイザーラモンもそうだったんですが、
双方ともそれ相応の運動量だったから、そこには「驚き」はあっても、「声援」は無かったわけで、
弾丸ジャッキーのあのネタ中で、疲れきった松雪オラキオに対して「声援」が送られるのは、
ある意味必然だったんじゃないかなと思うんですね。
 
正直な話、あそこで「声援」が無かったら、私はもう直視できないですよ。
ほったらかしにされたままの方が見てて辛いというか、
「声援」があったからこそ、ネタとして、ギリギリで踏みとどまれたような気がして、
それを考えたら、あれもきちんとしたネタであり、お笑いであると思うんですよ。
 
最近の多種多様なお笑いに対して、マジメな方が反発するのもわかるのですが、
もうちょっと寛容な気持ちで向き合うのも大事なんじゃないでしょうか。